中国は五代十国時代の分裂期に入り ≪歴史・中国・遼≫

唐の崩壊以後、中国は五代十国時代の分裂期に入り、北方の遼などの圧迫を受けて混乱の中にあった。

その中で五代最後の後周の二代皇帝である世宗は内外政に尽力し、中国の再統一を目指していた。

その世宗の片腕として軍事面で活躍していたのが宋太祖の趙匡胤である。

世宗は遼から領土を奪い、十国最大の国南唐を屈服させるなど統一への道筋を付けたが顕徳六年・959年に39歳の若さで急死。

あとを継いだのはわずか七歳の柴宗訓であった。

このとき趙匡胤は殿前都点検の地位にあったが、翌顕徳七年・960年に殿前軍の幹部たちは幼帝に不満を抱き趙匡胤が酔っている隙に強引に皇帝に擁立し、趙匡胤は柴宗訓から禅譲を受けて宋を建国した。

このように有力軍人が皇帝に取って代わることは五代を通じて何度も行われてきたことであった。

太祖はこのようなことが二度と行われないようにするために武断主義から文治主義への転換を目指した。
update:2010年03月09日